1905年2月23日にシカゴロータリークラブに誕生しました。
20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商道徳の欠如が目に付くようになっていました。 ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に堪えかね、友人3人と語らって、お互いに信頼のできる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。 ロータリーとは集会を独自の事務所持ち回りで順番に開くことから名づけられたものです。
それからは志を同じくするクラブが、つぎつぎ各地に生まれ、国境を越えて、今では世界211か国の地域に広がり、クラブ数33,660クラブ 会員数1,212,690人(2010年2月28日現在)に達しています。
これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリー( RI = Rotary International )と称します。
このように、歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。 その組織が地球の隅々まで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。
1920年(大正9)10月20日に東京ロータリークラブが創立された。世界で855番目のクラブとして、1921年4月1日に国際ロータリーに加盟が承認されました。
日本でのロータリークラブ設立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功を忘れることが出来ません。
その後、日本のロータリーは、第2次世界大戦の波に洗われて、1940年に国際ロータリーから脱退します。 戦後1949年3月になって、再び復帰加盟しますが、この時、復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。 その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましいものがあります。 ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。
現在、日本国内は4つのゾーンに別れ、34地区、2,263クラブと89,234名の会員数(2017年12月末現在)です。
第2730地区は鹿児島、宮崎をテリトリーとし、10グループに65クラブ、2,362名(女性211名)の会員数(2018年6月末現在)です。
鹿児島市内グループは10クラブ、415名(女性40名)の会員数(2018年6月末現在)です。
第2730地区ガバナー、鹿児島市内分区ガバナー補佐はこちらを参照して下さい。
我がクラブの海江田順三郎会員(1996~97:鹿児島中央RC)はパスト・ガバナー(PG)です。
丸山修会員(2017~18:鹿児島中央RC)はパスト・ガバナー補佐です。